2016年3月23日水曜日

BRM320埼玉300km アタック愛鷹は DNF でした。 (1) PC2まで


 はいどうも、漬物さんですこんにちわどーもどーも。掲題の通り、BRM320 アタック愛鷹は DNF でした。




 270km 地点で DNF 宣言。280km 近くまで走っていろいろアレしてもらってゴールまで帰ることができました。自分は諦めたのにまだまだ走っている人達を見て、後悔するやら納得するやら、複雑な気持ちのまま…とはいっても、うーん、あんまりこうネガティブな感じではなくて、次はどう回避してやろうかなあとちょっとわくわくするくらいの複雑さ、かな。

 顛末は以下の通り。




 今年、ランドヌール宮城開催の 300km はちょうど田植期間の為、出場も試走も難しい。三月の三連休も農作業はあるけれどわがまま言わせてもらおうかな…と各 AJ 支部のページを巡って見つけたのがアタック愛鷹。ロングライドのレポートや、同人誌ロングライダース、ろんぐらいだぁす!でもおなじみの道志みちを通るらしい。仙台市から遠征しても、まあ、300km なら比較的安全に帰ってこれるだろうし、何より「マイルドなコースとなりました」とある。これなら、と軽い気持ちでエントリー。

 開催日が近づくも、体調は思わしくないし自転車や装備の準備もほとんどできていない。ジテツウも思うようにできない日々の中、重い腰を上げてキューシートからルートを書く。書きながら、どうも、自分の意図とは違う事に気づく。いやいや考えるのはあとだ時間もないし…と作業に没頭しようとしたのだが、ちらちら見える「富士山」の文字に変な声が出る。

 なんてこった。アタック愛鷹って、道志みちって ― 富士山を登るのですか。



 出来上がったルートの高低差のプロファイルマップを見て脂汗がにじみ出る。嗚呼なんてこった自宅から 400km 車で走ってこの高低差の 300km ブルベを走ってまた戻ってこなきゃいけないというのは無謀以外の何物でもなくこれは初手から DNS するべき案件ではないのかいやだがしかしエントリーしちゃったし…などと悶々としてると奥様から「あ、狭山茶っておいしくて有名らしいから買って来てねー」と注文が入る。

 オーケー判った、行ってやろうじゃないの…という悲壮感を漂わせながら準備にあたる。

 春の関東が温かいなんていうのは、いわゆる「北から目線」の逆で、舐めた考えでしかない。いつぞやの那珂川 300 で寒さに震えながらゴールした豊水橋と、スタッフの方が作ってくれた中華スープの美味しさ暖かさを私は忘れていない。とはいえ、そろそろ梅は満開、桜も開花せんとするときに0度仕様の装備と言うのもいかがなものかなどとぶつぶつつぶやきながら衣類を整える。

 各種データを用意したりパウチしたり。簡単な工具、チューブ、ライト各種薬品と補給食をつめる。後は自転車の整備をちょちょいと行えば、準備は完了。軽い倦怠感とともに就寝し、そして、夜があけた。



3月17日(木)
 あまりの体調不良と頭痛に会社を午後で早退。病院が開く時間まで寝るつもりが翌0600時まで一度も起きずに爆睡する。

3月18日(金)
 体調不良は改善されたように思える。ブルベ参加には問題ないだろう。年度末の資料作成&提出祭りもなんとかこなすことができたので帰宅。昨日同様に爆睡体制に入る。ノンアルコールで
3日目という奇跡的な偉業を成し遂げて気分も良い。

3月19日(土)
 移動日である。朝もはよから起き出して準備したものを車に詰める。予定よりも早い時間に出発し、一路智光山荘へ。
 三連休初日なので渋滞や事故も想定していたのだが、特になんということもなく、のんびり 6 時間ほどで現地着。「味は狭山でとどめ指す」と謳われる狭山茶をゲットしつつ必要なものを買出し、昼食兼夕食にラーメン大盛りを食べてから投宿。
 チェックイン時に「夜ご飯は何時からにします?」と確認が入る。夕食付のプランだっけ?と予約時のメールを確認すると確かに夕食付。この安さで夕食付とは恐れ入る。もったいないのでいただくことにして、風呂を済ませ、布団を敷き、ノンアルコールビールで旅の疲れを癒し、夕食へ。うっぷ…食べ過ぎた。お値段なりの夕食ではあったけれどボリュームたっぷりで美味しかった。
 少しでも消化されることを願って太田胃散を飲み、2000 時ごろまでだらだらと過ごし、2030 時に入眠。

3月20日(日)
 ブルベ当日である。昨晩はとても暖かかった。今日はどうだ。


 お。暖かいじゃないの。6 度くらいなら東北人的にはどうってことはない。雨の予報もこれっぽっちもない。良いブルベになりそうだ…と昨日買ったクラブサンドイッチを食べながら情報収集。部屋の片づけをし、今日の装備を決定し、もそもそと入替を始める。

 ダイナパックの中には雨具上下を入れてある。もっとも、今回は雨具と言うより防寒対策としてだ。富士吉田市最低気温 4 度というのはおそらく平地での話であり、高度の高い山の上では話が違ってくるはずであるから。時間帯にもよるだろうけれど 0 度もあるかもしれない。

 ただし、日中はおそらく暑いくらいになるだろう。自分の汗でずぶ濡れになっては元も子もない。Sportful WS ASCENT JACKET( 0 度以下でも大丈夫)か、それとも Perl Izumi の 5 度対応の長袖ジャージか。風を通すグローブか、通さないグローブか。

 悩んだ挙句、今日の装備は…半袖メッシュインナー + Sportfule WS ASCENT JACKETにし、着替えとして速乾性&あったか長袖インナー、ネックウォーマー、手袋は両方とも持っていくことにした。わざわざダイナパックを持っていくからこそできる所業ではある。重量はかさむけれど、完走への影響はないはずだ。と、思いたい。

 下はいつも通り、ひざ下までのビブショーツと Perl Izumi のウィンドブレイクサーモタイツ。下に着込みすぎて暑くてへばるなんてことはないだろうのでこれはこれで良かろうと一人ごちながらもう一つのサンドイッチに手を付ける。イマイチおいしくないなあ、某コンビニのパン製品は。



 豊水橋へ到着。スタッフの方にご挨拶がてら、ずんだ関連製品を手渡し、受付。清水さん川田さんのわかりやすいブリーフィングを受け、車検後に出発。いつもの流れなのではあるが、どうもこう、消化が上手くいっていない気がする。胸焼けはしないまでも、いつまでも胃に何かが残っているような…。



 その他についてはすこぶる調子がいい。ポジションも、脚の調子も、今年から導入した Fulcrum Lacing5 LG もいつものダイナパックも何の問題もない。気温は肌寒いくらいだが、乗ってるうちに適温に、そして、暑いくらいになっていく。ジャージのジッパーをおろし、コース沿いに現れた狭山茶の写真をぱしゃり。



 しかし…市街地である。終わらない信号峠。少し走ってはとまり、とまっては走りしているのがだんだん苦痛になってきた。これが都会ブルベか、また信号かと何度か口にしながら津久井海道をパス。ようやく道志みち入口が見えてきた。信号とはこれでおさらばである。

 私のような田舎者にとっては、大タルミ峠とか渋峠とか関東にある有名どころというのはあこがれの的である。今回の道志みちもロングライド系のブログや記事を読んでいれば一度は必ず耳にする有名な道である。秋は紅葉、春は新緑。ローディもライダーもこぞって訪れる山紫水明の地。これで私も「道志みち?ああ、あそこはいいねえ云々」などと御高説を垂れることが出来るのだなあと思いながら左折する。



 数メートル登って、あまりの暑さにくらくらする。ところどころ雲の切れ間から強い日差しはくるし、常に向かい風が吹き下ろすという、太陽と北風状態。ジャージの選択を間違えたか。しかしまさか脱ぐわけにはいかない。如何にダイナパックの容量が大きかろうとも、汗でぬれたジャージを格納するスペースなんぞない。第一、乾かないし。
 道としては、幅が細い癖にバイクがぶんぶん通ることもあってあまり快適とは言い難い。新緑にもまだ早い。あこがれの道志みちを走ってるぜ!という気持ちが高ぶることはなく、はぁはぁ言いながらひたすら淡々とペダルを回す。


 あっという間に最高地点に到達…なわけもなく。写真にはおさめたものの明らかに坂の中盤。ああ、なるほど、神奈川県側では最高到達地点ということか。撮影中に反射ベストを着たランドヌールに抜かれ、そうかと思えば地元のローディがわっしわっしと登って行く。なるほどここはこういうところなのかとサドルにまたがり、テンションが上がるわけでもなく、また、淡々と、道を越えていく


 …のにも限界がある。展望台と東屋があったのでそこで休憩を兼ねて小休止。ははは、まだ 1/3 も登ってないや。


 雲は多いしガスっているからか、開けた展望は特に見ることはできなかった。雨が降った形跡に不安になりつつも、たまに雲の切れ間から灼熱の太陽が顔を覗き込むこの状況は良くない。いざ気温が下がった時に、ジャージを濡らしてしまったらそこで終わりだ。


 濡れそぼってはいないが、汗を吸ってすっかり重くなったことが良くわかる重量感…とはいえ、まさかビブショーツにインナーだけで走るわけにはいかない。持ってきた着替えを上からはおってやり過ごすか…いやいや、ジャージを乾かさにゃならんのだからそれはダメだ。水を飲みながらどうしようか、と思案すること2分ほど。

 裏返して着ればいいじゃん、防水加工が自分の汗を防いでくれるだろうし。内側は少なくとも風にさらされるんだから乾くじゃん。頭いいなあ俺ってばハハハ。
 

 世にも奇妙な格好をしたランドヌール爆誕である。とはいえ、裏返しっぽいところはどうせ反射ベストで見えないので無問題。早速そのまま道を登り続ける。都留市の消防署の横に道志村の役場が見える。都留市なのか道志村なのかどっちなんだろうなあここは。都留といえば、高校生の頃、都留文科大学が志望校だった時期があった事を思い出す。教員免許取りつつ国学やるんだって思ってたのだけど、当時はなんでそんなこと思ってたんだろう。本居宣長をリスペクトしてるわけでもないってのに。

 ― などとさもないことを考える間もペダルはくるくると回る。意図通り、少しずつジャージは乾いてくれている気もするし、徐々に体も冷えてきた。…冷えてきた、だって?

 ふと気づけば周りは灰色の世界。坂の上から吹き降ろされる風はやたらと冷たく、身震いするほど。山の天気は変わりやすいっていうけどいやはや参った。

 手持ちのハンカチで今は内側の外側をぬぐい、ひっくり返して通常の状態でジャージを着こむ。さっきまであけていた前のジッパーは完全に閉じている。寒いくらいだ。手袋も真冬用のものへ付け替える。山伏峠はいつの間にやらクリアしていて、山中湖を挟んで篭坂峠。山中湖ってこんな標高が高いところにあったのか…という基礎知識も知らない人間が教員を目指してたなんて自分でもびっくりである。

 ようやくついた PC1 は 90km 地点。貯金は40分。我ながら良く登ったもんだ。水分が足りなかったのか、足の攣りはじめの症状が出てきている。スタート地点から感じていた消化不良は解消されてはいないが、コーヒー片手にプリンと焼きそばパンをほおばる。食欲はさほどないものの、今食べなきゃ持たない。次のポイントは 46km 先。バーンと下ってちょろっと登ってドーンと下ればすぐである。山岳ブルベなら貯金はありすぎて困ることはないと、10分もかけずにその場を辞去する。

 ぱらぱらと聞こえてきた雨音が、土砂降りになったのは篭坂峠からの下りはじめ 106km の地点であろうか。いそいそとバス停でレインウェアを装備する。雨で視界は奪われ、ブレーキはかかりづらい。おまけに渋滞だ。せっかくタイムを縮めることができる区間なのに思うようにスピードは上がらない。無理すれば絶対に事故る。幅寄せされようが呷られようが、クラクションを鳴らされようが安全第一。ヤバい、と思ったらこちらが止まればいいのだ。冷静に、冷静に。

 雨は強まったり弱まったり、止んだり降ったりしながらこちらを責め立てる。雨とともに気温は下がるので、いちいち脱ぎ着せずに下る。下り終えるとそこは一面の荒野。今度は風に吹きさらされる羽目になったってわけか。

 結構せまい間隔で警告の看板が立っている。何の気なしに見ているととあることに気づく。


 陸上自衛隊富士演習場。あらやだここってば、恥ずかしながら大洗ブルベがきっかけではまってしまったアニメ、ガールズ&パンツァーの決勝戦会場じゃないの。期せずして聖地巡礼してたのか俺ぁ。そういやちょうど今日、大洗では海楽フェスタが開かれて大賑わいらしいじゃないか。あっちは楽しそうに聖地巡礼、こっちは寒さと胃腸の調子悪さを抱えて荒野に一人ぽっち。うーん、この…。

 幸いにして雨雲は少し遠ざかったようなので愛鷹山へのアタックを前にレインウェアを脱ぐ。いくら透湿性を誇るモンベルのレインウェアであったとしても、外からは雨、内側からはヒルクライムでムンムンな汗という状況下ではその性能を発揮することはできないだろう。せっかく乾いたジャージをそのまま維持しておきたいのだが、実は濡れた足元からビブの肩紐を通じて上がってくる水分がインナーを冷やし、容赦なく体温を奪っているのが現状である。ヤバい。寒い、が、脱がないとさらに寒くなってしまうのは目に見えている。嗚呼。

 愛鷹山の事は良く覚えていない。車もいない下りでピヤーッと下ってちょっとミスコース。復帰して、這う這うの体でようやく通過チェックへ到着。貯金は50分にまで増えた。早朝から続いていた消化不良がようやく解消したような気がしたので、私的ブルベ食定番の「ふんわりたまごのこだわり親子丼」を食べる。例のごとく、行儀は悪いが消化しやすいように具とご飯を混ぜ合わせて少しふやかしてから食べる。暖かい食べ物はそれだけでありがたい。

 時間に余裕はないが、食後のコーヒーくらいは楽しませてもらってもいいだろう。こんなことわざを知っている?Cofffee has two virtues; it is wet and warm. まあ、こちらは wet and cold だけどな。

 通過チェックを出発ししばらくするとまた雨だ。雨、雨、雨。ため息をつきながらレインウェアを装着する。雨にびちびちと顔をたたかれながらふと気づくと、潮の匂いがした気がする。海があるであろう方向を見ても何も見えないので、黙々と、たまに一人で文句を呟きながらじゃぶじゃぶと進んでいく。

 PC2 に到着する前に車体に取り付けていた AKSLEN の尾灯が点灯していないことに気づいた。ダイナパックに着けていた CATEYE 製の尾灯を移植した。確かに前回のブルベの時から調子は悪かった。長いことともにブルベを戦ってきた仲間ではあるが、この雨でおそらくご臨終である。R.I.P. そして、タイラップを持っていた自分をほめてあげたい。


(つづく)


0 件のコメント:

コメントを投稿