2015年7月27日月曜日

BRM718宮城600 フラット600栗駒石巻 完走記(3)


 はいどうも、漬物さんですこんばんわ。
 前回はトンネル内で落車という命がけの大ポカをやらかしたというところまででした。残り約 210km で貯金は大体1時間くらい。路面は乾き、強烈すぎる朝日がランドヌール達をじりじりと焼き尽くそうとするといった局面。

 一方、こちらは極度の胸焼け、胃の入口あたりが焼けるように痛いまんま。落車して肩と腰を打っているけれど自転車にはダメージがなさそうだというと言う状態。この先には、コバルトライン、松島と八幡町の信号峠、家から近い PC …と言った難所が続く。さて、どこまでどうやって食い下がれるのでしょうか―





 だいたい、打ち身や怪我なんてのは時間が経つと痛くなってくるもんだ。その「時間が経つと」がどれくらいなのかはわからない。シッティング、ダンシングともに特に問題なくやれているが、いつその時が来るのだろう…戦々恐々としながら黙々とペダルを回す。ふと気づけば汗だくになっていたので、レインウェアをキャストオフ。ばっさばっさと水を切り、畳んで袋にしまおうと思うのだが上手くいかない。何度目かのトライで成功。ふーい、と汗をぬぐっている間に2~3人にパスされる。とっくの昔に自分は最後尾になったんだろうなあと思ってたのに。

 いずれにせよ、貯金はまだあったはず。焦ったってしょうがない。ダメなら DNF すればいいじゃない。いや、ダメだ。ここまで来てやめられるか。命をかけてやるものでもないだろう?いやでもしかしだな…

 顔を両手ではたいて頭の中も再起動。ぐるぐる考えてるだけでよい結論なんか出るわけがない。そんなことしたって元来私はヘタレなんだから、DNF に思考が傾くに決まってるじゃないか。とにもかくにも先に進もう。今はそれだけを考える。

 海沿いにポツンとある自動販売機を見つけてピットイン。コーラを買いたくなるが、おそらくもう胃が受け付けてくれないだろう。かといって、オレンジジュース的な酸味の強いモノもおそらくダメ。これなら大丈夫か…と買ったものを飲みながら太田胃酸を用意。


 久しぶりの冷えたもので体温はさがったものの。

 飲み終わったジュースの缶を目の前にしながら胡坐でじっと5分ほど。うん、なんか、大丈夫かもしれない。ここまでの「胃に何も入れなかった時間」のおかげで少しは回復したのだろうか。

 ここまでで、太田胃酸を 10 包以上は飲んでいる。漢方薬とはいっても、副作用だってもちろんあるだろうし、薬のがぶ飲みなんてそもそも異常事態だとしか言いようがない…が、今頼れるのはこの薬だけ。意を決して薬を飲んで、自転車にまたがる。いっちょ行くか。

 スカーンと晴れた海辺を見ながらくるくるとペダルを回す。相変わらず足の調子はいい。風は全くない絶好の行楽日和なのだが、口から出てくるのはゲップと呪詛だけ。胸焼け、痛みのおかげで眠気は全くないかと思われたのだが、少し限界。震災復興用の大きなブルドーザーがちょうど日蔭を作ってくれているのでその横で 15 分ほど仮眠する。睡眠はすべての不調を回復してくれると信じて。

 …まあ、そんなわけもなく。
 眠気だけは飛んでくれたようなので、機械的に自転車にまたがってクランクを回す。あともうちょっとで女川だ。女川と言ったら女川マリンパーク。あれ、本間ちゃん(TBCのアナウンサーだった人。本間秋彦。我々世代の仙台人はみんな知ってる。男女りすなぁ夏物語とか知ってっぺ?)があそこ出身だったよなーなどとどうでもいいことを考えれるようにはなってきた。

 さて、道はなんとなく街になってきており、ダンプも行きかうようになってきた。ここまでくればコバルトライン前最終のコンビニはすぐそこだ。五叉路で何回か迷ったものの、無事に到着。おお、死屍累々。寝てる方、うなだれてる方、5~6人ほどの反射ベストが見える。

 店内に入り久々にクーラーの恩恵にあずかる。涼しい涼しい。何も考えずに勝ち割氷と水1リットル。そして、意を決して好物に手をかける。


好きなモノ、でもあるし、故意に胃にもたれそう&胸焼けしそうなものをチョイス。ここから先、コバルトラインには補給場所はないはず。つまり、これを食べて体調が悪化するなら、コバルトラインは超えられない。ここで DNF するのがランドヌールとして最後にやるべきことであろう。

 いただきます、と手を合わせて一口食べる。ああ、めっちゃ美味しい。最後に食事をしたのはいつだっけな…と口をもごもごさせながらケチャップの味を堪能し、ごっくんと嚥下。

 な、なんだ、さほどでもないじゃん。食道が痛いわけでも胸焼けが酷くなるわけでもないじゃないか。イケる、コイツはイケると食べ続け、半分くらいで突然の胸焼け。せり上がってくる何かはあるものの、痛くは…ない。気持ち悪いだけなら何とかなるか、と恐る恐る食べ進め、完食。たいへんおいしうございました。食事後も、胸焼けも痛みもさほどでもない。

 あら?自分で思ってるよりダメージ少ないのかこれ。もしかしてイケちゃいますか。行っちゃいますか、とおもってたころにがんちょさんと合流。途中で仮眠していたそうな。少し会話して元気も貰えたので、登坂的には最後の難所、コバルトラインを攻めることに。

 信号を曲がって県道220号線へアタック…っていきなりなんて斜度の坂だよ。だけどまあ、ある意味前傾姿勢になりすぎないから胸焼けの心配もない。ダンシングで回転数を上げて、あとは脱力ペダリング。お日様が近い。横を向けば女川の港。


 じりじりと歩を進め、ジリジリと焼かれていく。昔ギリシャのイカロスは―と、唐突に思い出した小学校のころに歌った歌を口ずさみながら登って行く。このままいくと、ロウの羽はとけちゃって墜落するんじゃねえかなどと思ったころにようやく御番所公園の地図が。もう一人のランドヌールの方と二人「どこにあるんですかねえ、公園…」と悩みながら先に行くと大きく手を振ってる人が。おお、Tさんだ!御番所公園だ!

 もともとここは写真チェックなのだけど、待っててくれる人がいるってのは本当に、勇気が千倍にも万倍にもなる。この喜びを自撮り写真にするんだ!と「キラッ★」という効果音が出そうな写真を撮ってみた。スタッフからは「良い感じに壊れてますねえ(呆」とお褒めの言葉を預かったのだが、このブログに載せるにはちょっとアレすぎる。

 情報によると、コバルトライン南にはコンビニがあるとのこと。あっれ、おかしいな。めっちゃ探して見つからなかったのに、あるのか。いやまてよ、考えてみれば、コースは少し外れるけれど、「おしかのれん街」とかもあったんだよなあ。

 まあいいや、と牡鹿半島南側を一回り。途中のコンビニではおばあさんがお客さん一人一人に声をかけながら営業中。かち割氷と水、とろろそばを食べる。スタッフのTさんとがんちょさんとお話しながらの食事。もちろん胸焼けは半端ないレベルでやってくるうえに、痛みもまたぶり返してきた。胃の入口を焼くようなあの痛み。だけど、食べなくちゃ。あと9時間ぐらいはペダルを回し続けなきゃいけないんだから…。

 いつ終わるともしれない牡鹿半島南側をひいこら言いながら何とかクリア。牡鹿半島はコバルトラインより島の南側のほうが精神的にはずっとクる。だがしかし、460km を走り切ってようやく平地。フラット区間がきた!

 待望のフラット区間は向かい風であった。風速7m。這う這うの体で牡鹿半島を抜けてきた仕打ちがこれかよ、と一人ごちながらひたすら足を回す。熱くて暑くて。このあたりで想定外の休憩を入れることが多くなってきた。水を飲んだりかぶったり。クーリッシュを恐る恐る口にしてみたり。そんななか、がんちょさんは私の後から現れては「仮眠しちゃった」「フロレスタドーナツ見つけたから買いに行っちゃった」などと充実のブルベを楽しんでるようだ。強い人は強い。いつかこうなれるのかな…。

 ここからは炎天下の中、とにもかくにもペダルを回していたことしか覚えていない。松島はさほどではなかったが、仙台市内に近づけば近づいただけ信号峠が牙をむき、車のクーラーからの排熱にしおしおになり、コンビニで氷を食べ…見慣れた道路を手慣れた運転ですいすいと抜けていき、デカい交差点で一息。ようやく温度も下がってきたのは時刻のせいだけではなく、田舎に来たからである。そう、ここは我がホームグラウンドである。中学高校時代と自転車通学にいそしんだ道路にようやくたどり着いたってわけだ。PC5 は近い。

 PC5 は我が家から実にちかい。7~8人のランドヌールと YO-TA さんが待ち構えててくれた。ここでもお決まりのように冷やしとろろそばを食べ、麦茶をがぶがぶと飲み、ライトの電池をすべて入替る。夜戦にむけての大休止。胸焼けは落ち着きを見せている、という言い方よりは、痛さの方が勝っているために胸焼けに気づかないが正しい表現だろう。

 店内のイートインスペースでクーラーに当たりながらクローズ15分前くらいまで休む。がんちょさん、たくさんとともに出発進行。一路岩出山を目指す。ちょっとした登り基調を 15km/h で進めばいいんだからイージーなはずだ。

 ほぼ自宅前をスルーし、Progressive のミニベロを見出したリサイクル屋を越え、一路泉ヶ岳方面へ。ここにきてついにケツが痛い。うーん…さすがに 600km も乗ってれば痛くなるか、と撫でさすると特定の部分だけが妙に痛い。あ、アカン、これはちがう。レーパンの縫い目にあたってる部分が擦れているんだ。

 宮床ダムのトイレでレーパンを着替える。400km 以上の時はレーパンを2枚ばきにしているため、穿く順番を逆にしてやれば簡易的に対策になる。シャモアクリームもたっぷり塗って出発。こんなもの、トラブルにもならない。

 後ろから車がやってくる…あれ、うちの車じゃないか。右手を突き上げ元気アピール。遅まきながらうちの奥様がスタッフ活動を始めたようだ。補足できる限りの最後尾をスイープしながらゴールまで巡回するという地味なお仕事だが、集中力が切れたランドヌール達に何があってもすぐ駆けつけられるようにするための大事な仕事。頑張れ!って声かけられるのも集中力の回復にはかなり効果あるしね。

 と、途中でたくさんのサドルが破損。私の持っていたタイラップと輪行袋の紐で何とか固定。コンビニ休憩をはさんでレッツゴー。

 夕闇が深くなる頃、今度は私の胃の痛みがピークに。がんちょさんに先に行ってもらって軽く嘔吐を試みるも何も出てこない。水をちょびちょび飲み下すことで胃酸を下げるという対処療法でもって何とか前に進む。痛い。眠い。辛い。

 何度目かのコンビニ休憩でついに太田胃酸が無くなった。15 包持ってきたのを40時間以内にすべて飲んだことになる。最後の 30km、もうひと補給が欲しい。糖分多めで胃腸にダメージを与えないモノはなんだ…これか、いやこれか。と、悩んで手にしたのはイチゴヨーグルト。冷静に考えなくても「それはダメじゃないかwww」と嗤われてもおかしくない補給食を流し込み、途中のコンビニで購入した新三共胃腸薬を放り込む。過剰に胃腸薬を飲んでるうえで違う薬を投入するのは危険な気がするけれど、なあにたったの 30km 。何とでもなるさ。



 …なりませんでした(血涙)



 地獄のような胸焼け。痛みは相変わらず焼けつくような痛み。サドル上で「うぐぅ」とか言いながら身もだえするレベル。なんだこれ。なんだこれ…。待っててくれたがんちょさんたくさんに追いつくもまったくスピードが上がらない。水を飲んでも飲まなくても苦しい。
 
 たまらず、指を突っ込んで強制的に吐くことに。吐くのも体力を使ってしまうけれど、明らかにあの休憩以降悪化してる。何度目かのトライで吐き出したものは、焦げ茶色の液体のみ。あれ…ヨーグルト成分はないのかよ、と自分の吐瀉物をマジマジと見てびっくり。これはアレだ、新三共胃腸薬だ。やっぱり身体が受け付けなかったのか。
 しかし、人間の身体ってのは不思議だ。こんな風に、体に悪影響を及ぼしているものだけを選択的に吐けるもんなのかしら。それとも、漢方薬を消化吸収できないくらい胃が弱っているのだろうか。

 指と口をボトルの水で洗い流し、がんちょさんを追いかける。嘘のように、とまではいかないが、とにもかくにも走り続けられるくらいの胃の状態になっている。ふらふらになりながらもゴールへ向かってゆっくり進む。

 見慣れた道路が見えてきた。

 ゴールのある場所へあと 2km という標識が見えた。

 三年かかってようやく、600km を走り続けることができるようになったのか。




 …なんていう感慨に耽る余裕はこれっぽっちもなく。

 とにかく走り終えたい。ゴールについて受付してメダル購入にウイと答えて風呂入りたい。ただそれだけ。池月公民館の灯りが見えてきた。いつもの、何の変哲もない道だけど、いろいろなランドヌール達がここを越えてゴールしてきた。そのゴールを迎えたこともたくさんある。他の人はいったいどんなこと考えながらこの道を進んできたのかなあ…と愚にもつかないことを考えているうちに、ゴールへ到着。605.6km、39時間30分ほどの旅。


 胃と食道以外のダメージは特になく。足取りも特に重くなく、ゴール受付へ向かう。建物に入って、懇親会真っ最中の皆様に戻りましたーと声をかける。

「お、漬物君、走り切ったの?DNFじゃないよな?」
「完走ですか?」

「あ、ええ、はい、なんとか。走り切れたみたいです…」




 一瞬の間の後、万雷の拍手。

「良かったな!」
「俺絶対漬物さんダメだと思ってたよ!おめでとう!」
「すごいすごい!!」

 アルコールが入ってるから、と言うのもあったのかもしれない。けれど、スタッフも参加者も、DNF した人も走り切った人たちももろ手を挙げて喜んでくれる。自分の中ではまだ実感できていない完走の嬉しさよりも、こうして努力を讃えてくれる。わがことのように喜んでくれて、みんな笑顔になってくれる。そのことが嬉しくて、ありがたくて、ちょっとだけ気恥ずかしくて。



 落車の影響は、今のところ汚くなっただけ。ひそかに心配していたレシートも、写真チェックも、もんだいなし。これでついに、600km を走り切った人として認定された。足掛け三年間。宮城主催の 600 で認定されたいんだ、とこだわったがゆえに、こんなに難易度の高いコースを走る羽目になってしまったけれども、ようやく、ようやく。


 奥様に近くの温泉まで送っていただき(曰く、600km 走り切った男性三人を乗せた車内は、それはそれは濃厚なスメルがして大変だったとのこと)、ようやく人心地。懇親会はまだまだ続き、「おう!本日の主役!早く来いよー!」の声にせかされながら私の夜は、今度は明るいところで、更けていくのだった…。




 そして よが あけた。

 



 屋根付き・空調付きの畳の上で寝れるというのはまさに極楽であり、ロイヤルホテルもかくや。楽しかったお祭りは終わりをつげ、三々五々帰って行くランドヌール達をお見送り。懇親会も楽しかった。こういうのまたやりたい。うーむ、スタッフとしての腕も上げて行かなくちゃなあ。


 とにもかくにも。

 私は 600km 走り切れて、辛いし苦しかったけれども楽しませていただいて。スタッフの皆さんにも、参加者の皆さんにも、PC の店員さんたちにも地域の人たちにも…全ての人達がいてくれるからこそ、こういうチャレンジを楽しむことができ、達成感を味わえるわけです。そう考えると、本当にありがたいことだなあとひしひしと感じますよ。


 SR までは、400km と 200km を残すのみ。とりあえずは8月22日の400を走り切りたいと思います。油断しないように気を付けなくちゃ。



 ここまで、長々と読んでくださったみなさま、ありがとうございました。
余談ではございますが、なんと私一皮むけました。さて、皮がむけたのはどこの部位でしょうか…と謎の問いかけをしながらのお別れです。

 ではまた、次のブルベで。

4 件のコメント:

  1. 本当にお疲れ様でした! きつい状況のなかの完走ストーリーちょっぴり感動しました。いやちょっぴりというのは嘘で、ちょっとウルっときましたよ、正直w 次の400も頑張ってくださいね。エス

    返信削除
    返信
    1. ありがとうございます!
      いやあ、本当キツかったです。他の皆さんもこんな状況で 600 とか走ってるんだとおもうと、頭が下がります…
      次も何とか完走したいと思います!

      削除
  2. はじめまして。なでら男@米沢です。ドラマのような展開で感動しました。SR 頑張ってください!

    返信削除
    返信
    1. ありがとうございます!
      実はグランフォンド飯豊で何回かお会いしているはずなのですが、イマイチこう、特定もできずお話しする機会をつくれなくてすみません。

      なんとか今年はSRとって、来年はスタッフ活動により専念できるように頑張りたいところですー。

      削除